タクシーのおっちゃんに桟橋横付けにしてもらって、受付をします
おっちゃん、なんども言ってたけど、今日は上陸できるかわからないよ、って
波があるから
港付近はそうでもないけど、沖はどうかな、って
先に旅行会社を通じて乗船料一人3400円を支払ってますが、ここでさらに追加の施設見学料チケットを購入しないといけません
座席はギュウギュウのお客さんです
沖へ出れば出るほど波は高く🌊
期待と諦めが半々
軍艦島とは、、
長崎港から船で約40分のところに位置する端島(はしま)。小さな海底炭坑の島は、岩礁の周りを埋め立てて造られた人工の島です。岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。最盛期の1960年には約5300人もの人が住み、当時、日本一の人口密度を誇っていました。島内には小中学校や病院などを完備、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もあり生活の全てを島内で賄うことができたそうです。
端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化に大きく貢献しました。しかし、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより衰退の一途をたどり、1974年に閉山。島民はさまざまな思いを胸に島を去り無人島となりました。
2009年に一般の方の上陸が可能となり、現在では多くの方が上陸ツアーに参加して軍艦島を訪れています。
2015年7月世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録されました。
こういうのも提出させられます
上陸の条件として、風速5メートル以内
波の高さは50センチ
直前まで観測を繰り返してた模様
最終的には波の高さ56センチということで、この日は上陸できず、島の周りをぐるりと周遊するだけのツアーとなりました
せっかくここまで来たのにな〜(;_;)
みなさん、名残惜しそうに眺めてます
さようなら、軍艦島
いつかまた来たいです
上陸できなかったので、乗船料の1割と見学施設利用料が返金されました
そして驚きの駐車料金は3500円!
考えたら9〜16時くらい停めてたことになります
最初からタクシーの予定なら、ホテルに迎えにきて貰えばよかったわ
電車に熟練のひとなら、電車移動も便利で安上がりかも
タクシーのおっちゃんとわかれるとき、この日午後からもうすこし時間があるけど、おすすめの観光地はどこですか、と聞きましたところ、速攻で答えてくれました
「亀山社中」を是非に!と
ナビをたよりに近くまで行きましたが側には駐車場がなく、歩いていくしか方法はないようです
どれだけあったかわすれたけど、地獄の階段
地獄って普通下るもんでしょ
あなた〜まって〜 (;_;)
ほんとにこんなところにあるの?
って不安になるほど、上の上の奥です
ふぅ😑なんとかたどり着きました
日本で初めてブーツを履いたのは、坂本龍馬
靴を履いたまんま、このブーツをはけます
坂本龍馬になってみよう
で、上の一枚しか写真はないけど、ここから見る風景がお金を出してみるグラバー園よりも美しいとか
夜利用したバスガイドさんがお話されてました
「亀山社中」とは
1865年薩摩藩や長崎の豪商・小曽根家の援助を受けて、坂本龍馬とその同志20数人により結成された「日本初の商社」兼「私設海軍」です。貿易会社と政治組織を兼ねた「亀山社中」は、徳川幕府の倒幕を目的とした活動を行うとともに、グラバー商会と銃器の取引を開始し、藩に武器を卸す商業活動や物資の輸送や航海訓練なども行いました。
また、険悪だった薩摩藩と長州藩の関係回復の仲介をし、薩長同盟の締結に大きな役割を果たしたと言われています。
当時活動の拠点として借りていた民家が、もともと「亀山焼」の職人の住居として使用されていたため、その地名の「亀山」と、仲間を意味する「社中」をあわせて「亀山社中」と呼ばれました。老朽化していた遺構を当時に近い形で復元し、2009年から「長崎市亀山社中記念館」として一般に公開しています。
記念館は内部は、10畳、8畳、3畳の部屋と土間に分かれており、隠し部屋と思われる中二階ははしごから見学することができます
名誉館長さんは、武田鉄矢さん
一緒に活動した人達かなぁ
ブロともうめじろうさんなら、全部わかるはず
なるほど〜初めて聞いたことばかりでした
それにしてもこの階段
ここに家を建てるのって並大抵ではない
ましてや、ここで生活するのって
駐車場はずっと下
もしくは屋根のうえとか
なんせ土地がせまいので
長崎ってすごいところ!!
※またへんなレイアウトになってる気がする(;_;)(;_;)