陰陽道を学ぶ旅、行ってきました
安倍晴明の子孫である土御門有宜が応仁、文明の乱による戦火や一揆などて混乱する京から名田庄に下向し100年以上にわたり居住しました
土御門(安倍)家と名田庄はふかい関わりがあります
天社土御門神道本庁(てんしゃつちみかどしんどうほんしょう)
四神獣を表す四色の鳥居が囲む「天壇」
祭事のときに利用されます
独特の雰囲気があります
一般のひとはあがってはいけません
歴代の天皇や将軍からあつく信仰された泰山府君大神を祀ることを許されたのは日本で土御門家だけ
今も土御門家に繋がりのある人たちが陰陽道の伝統儀式を受け継いでます
クルマで2分ほど移動
左が道の駅名田庄
右が町営のホテル
「おおい町暦会館」
土御門(つちみかど)(安倍)家と暦の資料展示館です
「陰陽寮の中でもっとも重要な仕事は、暦の作成だった。当時の人々は迷信を信じていたので、方角や日取りに注意を払っていた。それゆえ暦には、悪い方角や悪日を細かく記され、人々は外出する際の参考にしていたのである。現在でも、結婚式や葬式を執り行う際に日取りを重視するのは、陰陽道の影響である。」
また、陰陽師は災いを取り除き、福を招くために祭りやお祓いを執り行った。こうして陰陽道は民衆に浸透したが、迷信的な色彩が濃くなっていたのも事実である。江戸時代以降、土御門家は全国に広まった民間の陰陽師の統制を許可されていたが、明治以降になると自然消滅した」
とにかく暦がとても重要視されてた時代
爪を切る日も暦にしたがってたとか
スタッフさんがピッタリよこについてとても丁寧に説明してくれるのだが、なんせ基本ができてないので(^o^;
占いができるコーナーがあります
いまが最高潮
新しいことには挑戦しないように、と
いいのかわるいのか
言うちゃなんやけど、ここらへん周りになんもないところで、道の駅、町営のホテル、暦会館、そして土御門本庁があるだけ
山のまた山、バイカーの溜まり場
長い足を伸ばしたらそこが京都って場所
場所を移動して敦賀市へ
「晴明神社」
狭い穴に手を突っ込んでお賽銭を投げ入れます
この霊石の上にみごと乗っかったら願いが叶うとか
ワタシはカベにぶつかり落下
連れはみごと着地
お手伝いのおばさんのいうにはほとんどのヒトは晴明に見抜かれてて弾かれるって
で、すごーい悩みのある人は乗っかるって
え?どんな悩み?って聞いたら、え〜特になにも、、と口をモゴモゴ
ワタシに言えない悩みがあるのでしょうか?😂
京都の晴明神社にはうめじろうさんが出没してます めちゃおもしろい記事ですよ
ご覧ください
歴史はすごくむずかしいけど、突き詰めたらおもしろいってことが少しずつわかってきました(^^)